東京高等裁判所 昭和33年(ネ)727号 判決
(一) 控訴人が昭和二十九年四月十六日岩村田区検察庁に対し被控訴人両名を被告発人として「被控訴人らは共謀して訴外中島寛を精神障害者なりとして精神病院へ入院させようと企て被控訴人中島光が昭和二十九年三月三日長野県南佐久郡野沢町野沢保健所に対し同訴外人の親族に相談したこともなく、また同人の妻中島ごすえの同意を得たこともないのに、右中島寛は狂暴性の精神障害者であり、親族一同協議した結果親族および配偶者全員右寛を精神病院に入院させることに同意したからその入院手続をしてくれるように依頼し、虚偽の事実を具して申告し、ついで同月十日右保健所の精神病係主事関一雄、長野県南佐久郡南相木村診療所医師青木宣昭、同村駐在所巡査石井善美および被控訴人中島喜徳が右中島寛宅に到り、同人に睡眠剤を注射して意識不明に陥れ、右中島ごすえが拒絶したにもかかわらず寛を自動車に乗せて長野市鶴賀病院に連行し、被控訴人中島喜徳が右中島寛の入院に対する中島ごすえ名義の同意書を作成偽造して右寛を同病院に入院させたものであつて、被控訴人らには精神衛生法違反および文書偽造の犯罪事実がある。」と告発したこと、ならびにこれがため被控訴人らは同区検察庁において被疑者として取調を受けたが不起訴処分になつたことは当事者間に争いがない。
(二) 被控訴人らは、控訴人のなした右告発は虚偽の事実を申告したものである。と主張するから審究するに、成立に争いのない甲第七号証、乙第一号証の一ないし六、同第四号証同第十号証、郵便局のスタンプの部分に争なくその余の部分も真正に成立したものと認める乙第六号証同第七号証の一、二当審における被控訴人中島喜徳の供述により真正に成立したことを認め得る乙第八号証原審証人佐藤八郎、同出浦正、同出浦道信、同中島とら代、当審証人中島ごすえの各証言、当審における被控訴人中島喜徳本人尋問の結果(但しいずれも後記措信しない部分を除く)を綜合すると次の事実が認められる。即ち、訴外中島寛は昭和二十六年頃精神異状のため長野市鶴賀病院に入院治療を受けたことのある者であるが、同人は回復退院後被控訴人中島光所有の山林立木を擅に伐採するので同被控訴人は居村駐在の巡査石井善美に然るべき処置を執られたいと要求したが、石井巡査は「寛は精神異状者だから親族の者が面倒を見るのがよい。」とて応じてくれなかつた。そこで被控訴人中島光は昭和二十九年三月三日長野県南佐久郡野沢町所在野沢保健所に赴き、同所員荻原保三に対し前記中島寛が自分の山林を屡々伐採して困るが同人は凶暴性の精神病者で鉈様の凶器を携え危険であるから然るべく処置せられたいと申し出たので、その申出あつたことを知り且つあらためて同被控訴人の意を受けた同保健所の主事関一雄は同月十日中島寛方に赴き右石井巡査および同郡南相木村診療所の医師青木宣昭を呼び寄せ、その前日まで異状なく土木工事に従事していた右中島寛に対し鶴賀病院へ行くことを勧めたが同人が同意しないので青木医師が寛に麻酔剤を注射して睡眠状態に陥らしめた上、寛の妻中島ごすえの明確な同意もないのに、被控訴人中島喜徳(被控訴人中島光の子)が雇つた自動車に寛を乗せ長野市鶴賀病院へ連れて行き同病院の医師中村邦武の診察を受けさせた。中島寛を右病院へ連れて行く際被控訴人中島喜徳は前記関一雄と共に附き添つて行き、中島寛の親戚に当る中島とら代、出浦道信の両名は被控訴人中島光から話があつたので別途同病院に赴き診察に立ち会つた。診察の結果右中村医師は、寛に「分裂の欠陥」はあるけれども精神病者として扱うには稍疑わしい状態であり、入院の必要も認められない程度のものであると云つたところ、被控訴人中島喜徳は折角遠方から来たのだから是非入院させてくれと云い、前記出浦道信に指図して寛の妻中島ごすえの同意書その他入院に必要な書類を調えさせて寛を入院させた。その後同病院において右中島ごすえの同意書が真に中島ごすえの意思に基いて作成されたものではないという疑を抱くに至つたので、再度同人に対し改めて同意書を差入れるよう催促したが、同年五月四日同人は同病院に対し同意書は差入れない、右入院についても同意書を差入れたことはない旨の通知をしたので翌五日同病院はその職員をして寛をその自宅に送り届けさせたことが認められる。甲第七号証及び乙第一号証の三(いずれも証人関一雄に対する尋問調書)記載の供述原審ならびに当審における各被控訴人ら本人尋問の結果中右認定に反する部分は当裁判所の措信しないところであつて、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。
以上認定の事実によれば、被控訴人らが中島寛を入院させるについて、同人の妻中島ごすえの同意書を偽造したという点についてはこれを確認するに足りないが、被控訴人らは中島寛が凶暴性の精神病者でないことを知りながら、前記野沢保健所に対し同人が凶暴性精神病者であるから然るべく処置せられたいと申告し、かつ寛を入院させたものと認められるから、被控訴人らに精神衛生法第二十三条第三項所定の犯罪の嫌疑あるものと云える。
控訴人が被控訴人等に対してなした告発は結局不起訴処分に付せられたことは前記の通りであるけれども、不起訴処分は必ずしも犯罪の嫌疑がない場合にのみなされるものではなく、犯罪の嫌疑があつても起訴を相当としない場合にも不起訴処分に付せられることがあるのであるから、本件告発事件が不起訴処分に付せられたことは当裁判所が前記のような判断をすることと矛盾するものではない。原審並びに当審における尋問において被控訴人等は、右告発事件は犯罪の嫌疑がないという理由で不起訴処分になつたと供述し、甲第六号証(証人中島猛気外一人に対する尋問調書)にも中島猛気の同趣旨の供述があるけれども、これらの供述は採用しない。原審証人鈴木久雄はこの点について明確な証言をしていない。ところで控訴人のなした本件の告発は、精神衛生法違反罪と私文書偽造に関する。
(三) そこで、控訴人が右告発をするにつき、故意もしくは過失があつたかどうかについて検討するに、精神衛生法に関する限り被控訴人等に犯罪の嫌疑あることは前記の通りであるから、この点につき控訴人に故意過失の責むべきものはないものと云うべく、被控訴人らの提出援用にかかる全立証によつても控訴人が被控訴人らに私文書偽造の犯罪事実のないことを知りながら故意に不実の告発をしたという事実はこれを認めることはできない。つぎに過失の有無について考えてみると、何人でも犯罪があると思料するときは告発することができることは刑事訴訟法の定めるところであるが、告発を受け被疑者として取調を受けることはその者の社会的地位に好ましからざる影響を与え、その名誉や信用を傷ける場合が少なくないから、およそ他人を告発しようとする者は犯罪の有無について検討を加え合理的な根拠に基ずいて犯罪の成立を確めた上でなければこれをなすべきではない注意義務が存することは多言を要しないところである。これを本件の場合についてみるに、前認定の事実によれば、保健所に対する申出から中島寛の入院に至るまでの一切の手順は被控訴人等がその地位(被控訴人中島光はもと南相木村の村長であり、居村有数の資産家であり、被控訴人中島喜徳はその子であるのに対し、中島寛は生活保護法の適用を受ける程の貧困者であることは前掲各証拠により認め得る)と保健所を利用してとりしきつたものである。その目的は中島寛が被控訴人等所有の山林の立木を擅に伐採することを防止せんとすることであつて中島寛の病気を治療するとか精神障害者の社会に及ぼす害を予防せんとすることではない。被控訴人等が所期の目的を達するためには他に適当な方法があるのであつて、右はその方法を誤つたものと云わねばならぬ。成立に争いのない乙第一号証の一、二、四、五、原審証人佐藤八郎の証言および同証言により成立を認める乙第二号証に当審証人木内清、同中島佐順、同中島竜雄、原審ならびに当審証人中島ごすえの各証言原審における控訴人本人尋問の結果を綜合すると、被控訴人らが前認定のように中島寛を鶴賀病院に入院させた直後、被控訴人らの居村では、配偶者たる中島ごすえの明確な同意もないのに、前日まで通常人と同様な労働に従事していた中島寛に麻酔剤を注射して入院させたことに対し、人権侵害の疑があるという評判が拡まり被控訴人らを非難する声が高くなつたので、被控訴人中島光は心配し、昭和二十九年四月六日居村の村長である中島佐順に対し、中島寛の妻中島ごすえや同人の親戚達の感情を和げるべく斡旋を依頼し、同日夜中島竜雄方に被控訴人中島光のほか、中島佐順、中島猛気、中島竜雄等が相会し話し合つた結果、被控訴人中島光は、自己の執つた処置に行き過ぎのあつた点を認め、詑金、見舞金、医療費のほか、中島ごすえの生活難を救済する意も含め、金十五万円を同人に支払う旨の示談が成立し中島ごすえもこれを承諾したにかかわらず被控訴人中島光はその後言を左右にして右金員を支払わなかつた。控訴人はかねて村内の評判により被控訴人らのなした入院手続には不法なところがあるものと思つていたが中島ごすえからその窮状を訴えられたり、昭和二十九年四月十日附の信濃情報第二一号掲記の本件に関する記事を読むに及び被控訴人らの行為は犯罪を構成するのではないかと考えるに至り、同年四月十六日今は裁判に訴えるより外に道はないと決意するに至つた中島ごすえと共に、弁護士木内清を訪ね事情を述べて相談した結果、同弁護士は精神衛生法違反と文書偽造の罪名で中島ごすえが告訴を提起するのがよいであろうとのことであつたが、偶々その際中島ごすえが印鑑を所持していなかつたので、控訴人の名義を以て前記(一)記載の告発手続をとつたことが認められる。原審ならびに当審における被控訴人両名の各本人尋問の結果中右認定に反する部分は当裁判所の採用しないところであり、その余の立証を以てしても右認定を覆えすに足りない。控訴人は本件告発をするに際し、(1)直接被控訴人らに会つてその弁解を聞いたこともなく、(2)野沢保健所や鶴賀病院に対し被控訴人らの申告の内容もしくは入院手続に関する事情を照会調査した事実のないことは原審における控訴人本人尋問の結果によつて明らかであるが、その告発をなすに至つた事情は前認定のとおりであつて、(1)被控訴人らには精神衛生法に違反する犯罪の嫌疑があること、(2)被控訴人らが中島寛を入院させた手続に行き過ぎの点があつたことについては被控訴人らもこれを自認し、中島ごすえに対し金十五万円の出捐を承諾した事実があること、(3)中島寛の入院について同人の妻中島ごすえは明確な同意をしたことがなく又中島ごすえは鶴賀病院へ赴かなかつたのであり、しかも入院に関する一切の手順は被控訴人等が取り運んだことは前記の通りであるから、被控訴人らが中島ごすえの同意書を偽造したものと推測することは必ずしも不当とはいえないこと、(4)控訴人は告発に際し弁護士木内清に相談し同弁護士の指示に従つたものであることを彼此綜合して考えると、控訴人のなした本件告発は通常人としての注意義務を欠いたものとはいえないから控訴人には過失がなかつたものと認めるのを相当とする。
(四) してみれば控訴人のなした本件の告発は不法行為にならない。又控訴人が被控訴人等に非行ありとして一般世人に流布したことについては、この点に関する原審並びに当審における被控訴人等各本人尋問の結果は措信し難く、原審証人児玉光夫、同中島慎一の各証言その他被控訴人等の全立証によるもこれを認めるに足りない。故に不法行為の成立を前提とする被控訴人らの本訴請求はその余の点について判断をまつまでもなく理由がないから棄却すべきものである。
(奥田 岸上 下関)